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「ヨハネの福音書」の時間表記がローマ時間である、とボクが考える理由
9月4日に書いた記事「『新改訳2017』で、ひとつ不満なこと」で、「ヨハネの福音書」の時間表記には、「ユダヤ時間である」と考える説と、「ローマ時間である」と考える節のふたつあり、ボクは「ローマ時間節」の支持者であると書きました。
それについて、どうしてそう考えるのか、その理由を書いた方が良い、とご指摘を受けましたので、あらためて、書きたいと思います。
たしかに、ほとんど「ユダヤ時間説」しか見聞きしないので、「ヨハネの福音書の時間表記はローマ時間だと思う」と聞いても、「何で??」と思いますよね。
ユダヤ時間説をとる聖書学者の方は「ヨハネの福音書がローマ時間で書かれたという証拠はない」とも言いますし、「共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)がユダヤ時間で書かれているのだから、ヨハネの福音書も同様のはずだ」と言っています。

でも、証拠ではありませんが、ローマ時間だと考える根拠はあります。

ところで、「そもそも[ユダヤ時間]とか[ローマ時間]って何?」という方もおられると思いますので、そこから説明したいと思います。

◆ユダヤ時間
一日を24時間に分けるのは現在と同じだが、この24時間を午前と午後に分けるのではなく、夜の12時間と昼の12時間に分けている。つまり、日没と想定される、現在の午後6時を起点の第0時としており、翌朝の6時で第0時になる。現在の時間表記と6時間ずれる。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は、この時間表記で書かれている。

◆ローマ時間
現在、私たちが使っている時間表記の12時間表記。

この説明で分かりますでしょうか?
…説明下手ですみません。
たぶん、検索すれば、もっとわかりやすい説明があるかと思います。すみません。

では、本論の「ローマ時間だと考える根拠」を上げていきたいと思います。


1.「ヨハネの福音書」が書かれた時代背景

共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は、だいたいA.D.50年頃〜60年頃に、まとまって書かれていますが、「ヨハネの福音書」はA.D.85年頃に書かれています。約30年の時間差があります。
共観福音書が書かれた時の、直接の対象読者はユダヤ的背景があるかユダヤの事情がわかる人たちがほとんどでした。そのため、共観福音書はユダヤ時間で表記されています。
しかし、そこから30年経ち、ローマ帝国内で、イエス様を信じる人が爆発的に増え、直接の対象読者はローマ文化圏の生活者になりました。
そうなれば、想定対象読者の文化に合わせた時間表記…ローマ時間で書くのが自然だと思います。

2.地名がローマ表記

上記「1」の実例とも言えますが、「ヨハネの福音書」ではガリラヤ湖のことを「テベリヤの湖」とローマ式に表記しています(6章、21章)。地名がローマ表記であれば、時間もローマ表記となるのが自然です。

3.ローマ時間と考えないと、つじつまが合わない

そう思われる、代表的な記事をふたつ、取り上げたいと思います。
(細かくは、他にもありますが)

[1]4章後半の「王室の役人の息子のいやし」の記事

病気で死にかけている息子をもつ役人がカペナウムという町に住んでいました。この人が、イエス様がカナという町にに来られたのを聞きつけ、やって来て、イエス様に往診(?)をお願いします。ところが、イエス様は出かけて行かずに、その場で息子を癒されました。
その最後の部分は以下のように記されています。

4:51 彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。
4:52 そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。
4:53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。

「第七時」・・・ユダヤ時間であれば「午後1時」です。
カペナウムとカナは25キロ程の距離です。人の歩行速度は時速4Km〜5Kmと言われていますから、普通に歩けば5時間〜6時間で行ける距離です。
死にそうな息子が心配な場合、早足になるでしょうから、もう少し早いかもしれません。
午後1時に「直したから、帰りなさい」とイエス様に言われて歩き出せば、その日の夕方の6時頃には、家に着きます。
それなのに、何故、翌日になるのでしょうか?
息子が心配ではなかったのでしょうか?ほんとうに直ったか、早く確かめたい、と思わなかったのでしょうか?
どこで、油を売って、あるいは、羽を伸ばしていたのでしょう?
どういうお父さんなんでしょうか?

ローマ時間であれば、そのまま「夜の7時」です。
これであれば、「夜道は危険なので、一泊して翌朝帰った」ということで、普通に納得できるものになります。

[2]19章最初の「イエス様の裁判」の記事

イエス様は最後の晩餐の後、捕らえられ、一晩中ユダヤ当局の尋問&拷問を受け、翌朝の明け方、ローマ総督官邸に連行されます。
そして、総督による非公式の尋問の後で、正式の裁判が始まりますが、その時間が次のように記されています。

19:13 そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語ではガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。
19:14 その日は過越の備え日で、時は第六時ごろであった。

裁判の開始時間が「第六時」です。
ここから、「裁判」そして「審議」「判決」、それから「処刑の準備」そして「刑場までの連行」があって十字架に付きます。
聖書の記述では、「裁判」「審議」「判決」は非常にいい加減なものであったので、さほど時間は要していないように思われます。
正式の裁判ではあるものの、おそらく判決まで1時間は掛かっていないのではないか(そんな裁判あり?と思いますが)、と思われます。
ですが、「処刑の準備」は処刑場の用意や、人員や道具の手配等、人や物が動きます。いくら手慣れたローマ軍でも1時間は掛かるのではないでしょうか。
そして「刑場までの連行」ですが、十字架刑の一環として、「受刑者に自分の掛かる十字架を背負わせて刑場まで歩かせる」ことになっていたようです。ところが、イエス様は処刑の前段階の拷問が酷く、もはや十字架を背負って歩くことができませんでした。おそらく任務に忠実なローマ兵は、十字架を背負わせて歩かせようとしたでしょう。どれくらいであきらめて、通りすがりの人を徴用したか分かりませんが、通常の所要時間より、数倍掛かる…おそらく刑場到着まで1時間以上…ではないでしょうか。
そうすると、裁判の開始から十字架に付くまで、だいたい3時間くらいは必要ではないかと見積もれます。

「第六時」をユダヤ時間であるとすると、「昼の12時」になりますから、十字架に付くのは「午後3時」ということになりますが…。
マルコの福音書 15章25節には次のようにあります。
「彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。」
全然、時間が合いません。

でも、「第六時」をローマ時間であるとすると、「朝の6時」ですから、十字架に付くのは「午前9時」でピッタリなのです。


以上、これらのことから、ボクは「『ヨハネの福音書』はローマ時間で書かれたと思われる」とする説に同意しているのです。

かと言って、ユダヤ時間説をとる方々を否定するつもりはありません。
そうした方々の幸いな学びでボクは本当に励まされていますので。
時間の表記の問題は、すごく些末な問題ですから、取り立ててて言うほどのものではありません。
なのに、長々と書いてしまいました。すみません。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:-, 21:19
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