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光はやみの中に輝いている
クリスマスツリーこんにちは、とんとんです。

生来出不精のとんとんは、ショッピングがあまり得意ではありません。
先日、本当に久しぶりに買い物に出かけました。
なんと、巷のお店ではクリスマスデコレーションがほどこされ、クリスマスソングが流れていました。

そんな季節になっていたのですね〜。

とんとんの両親はクリスチャンではありませんでしたので、小さい頃は「家族で教会に…」なんてことはありませんでした。
ただ、ミッション系の幼稚園に通い、小学生の時は、日曜学校に通っていたので、聖書のお話は少し聞いてはいました。
もちろん、「よく知っていた」というにはほど遠いものでした。
が、日曜学校に行かなくなった後も、「イエス・キリスト」という名前に、不思議に懐かしいような、心惹かれる思いを持ち続けたのです。

そんな若かりし頃、この時期流れてくるクリスマスソングにも何か魅かれるものがありました。
クリスチャンになった後で、「あ、これ!あれ、これも!?讃美歌だったんだー!!」という事態が発生…笑い話のようですが、ほんとのことです。

まだまだ、「イエス・キリスト」という方がどのような御方かわからなかった頃でした。
この時期に、流れていた讃美歌を聴き、一年で一番日が短くなる季節、闇の深さを否応なく感じる中で、「光」が差し込むようなそんな気持ちになったことを思い出します。
この「光」が、何なのか、いえ、どなたであるのかを知るには、長い時間がかかりました。
でも、感謝なことに、その御方と出会うことができました。

ときどき、この「光」が人の心に差し込む瞬間を目にする機会があります。
別に超自然的な、何か不思議なことが起こるわけではありませんが。

とんとんの友人に、大変な苦労人がいます。
彼女の話を聴いていると、慰める言葉も、励ます言葉も出てきません。
一緒に泣くことぐらいしかできない自分が、情けなくなることすらあります。
そんな彼女と、一緒に聖書を読むことがあります。ただ読むだけです。
「イエス・キリスト」という方が、どういう方なのかを読むだけです。
たったそれだけなのですが、彼女の暗い表情がまるで別人のように変わる時があります。
不思議なのですが、「暗闇に光が差し込んだよう」としか表現できない変化なのです。

放射能汚染により、住み慣れた土地を追われた方々にお会いする機会がありました。
避難した先の住環境は決して快適なものではありませんが、その中にあっても、「感謝する点」を挙げる、その姿に頭が下がりました。
終始、明るく話す中、時折、何かを堪えるような表情が浮かぶ…その胸の内は、想像すらできません。

一人の女性がいました。お歳は、60才半ばぐらいでしょうか。
気丈そうな、美しい女性でしたが、その表情は固いものでした。
彼女は、「『希望』の反対は何か?」との問いに、「絶望」と静かに答えました。

…「絶望」です…

しかし、そう答えた彼女の表情が、その直後に変わりました。
今から約2000年前、希望の「光」なる御方がこの地上にお生まれ下さった、その御方が「イエス・キリスト」であると聞いた時、彼女は驚いたような、その御方を切望するような顔になったのです。
あたかも、深い深い闇の中に一条の光が差し込んできたかのような、その表情に、恥ずかしながら、とんとんは涙が止まりませんでした。

「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」(イザヤ書9:2)
author:とんとん, category:できごと, 17:10
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