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切れて気付いた「繋がり」のありがたさ
さて、先日の記事で予告(?)しましたとおり、先月の台風15号で、ちょっと悲しかったできごとを書きたいと思います。
台風15号は各地で甚大な被害を起こし、首都圏(それ以外でも)多数の帰宅困難者を出しましたね。
それに比べれば、本当に些細なことなのですが……。

ボクの勤務先ではカラス川の上流から、川の水を取り込んでいます。
台風で川が増水すると、取り込み口の自動制御が効かなくなり、また、流されて来るゴミの量が増えるため、人が付きっきりで作業しなければならないのです。日中の通常業務(それでも雨に降られ、カッパの中までびっしょりになってしまいました)が終わって、一息ついて、さあ着替えよう…という時に、上からのおたっしがありました。
「取水口の作業に行ってくれ。」
そういう事態があるかもしれない、と日中に聞いてはいましたが……。
そんなこんなで、バタバタと取水口に向かいました。
取水口は車で20分ほど山に向かった所にあります。
ゴウゴウと水が激しく流れる脇で計器の数値を見ながら足場の上を行き来しつつ作業するわけです。
実は、ボクは初めての作業でした。
数値が急に下がってしまったので焦りもありました。
…で、あわてて足場に乗って作業しようとした時に……
ポロっと…
ケータイが…
ゴウゴウと流れる水路に…
ボチャンと落ちてしまったのです!
水路の水は泥で茶色に濁っており、全く見えません。流れも激しく、底も深いので、もうどうにも……なりません。
落ちた水路は取水口の外で川に戻るので、今頃はカラス川の下流の底に沈んでいることでしょう。

アドレス帳や、メールの履歴、ケータイで撮影した写真、書きかけのブログ記事……みんな失われてしまいました。
自分の不注意が招いたことですが、正直に言って、かなりショックでした。

とりあえず、一緒に作業していた先輩のケータイを借りて、妻に電話しました。ケータイが水没して失われたことを伝え、ボクへの連絡ができなくなったことを話しました。
その晩は12時まで作業し、他の方に交代して上がったのですが、いろいろな面で疲れました。
……ずっと濡れた服を着ていたので、風邪もひいてしまいましたし……。

その後、数日間、いろいろと忙しく、ケータイ・ショップに行くことができませんでした。
そのため、その数日間、ボクはケータイ無しの生活をしたのです。

自分では気が付いていませんでしたが、ボクは意外にケータイに依存していたようです。
ケータイが無いと…さみしい…のです。
何がさみしいのか、というと……
妻からの連絡が来ない(できない)ということです。

……自分でも驚きでした。
データが失われたのも悲しいのですが、それよりも妻との連絡ができないということの方が大きかったのです。

ケータイって関係や繋がりの象徴なんですね。
ケータイが無くなったからといって、関係が無くなるわけではありませんが、応答の即時性が失われると、距離がいくぶん遠くなったような気がしたのです。
……まぁ、気分的なことなのですが。
でも、ヘロヘロになって働いているボクにとって、妻の励ましは常に必要なものなので……。
「かぁちゃんのためならエ〜ンヤコラ」は本当だなぁ、と思う次第です。
「繋がり」や「励まし」は人を支えてくれますね。

この、繋がりという関係によって励まされ、支えられる、ということは生きる勇気を持続するために必要なのではないでしょうか。
ボクが気付かされたことはそれです。

キリスト教の中心テーマが神様との関係回復であることはご存じでしょうか。
「神様との関係」といってピンとくる方は少ないかもしれません。
でも、ボク(に限らず、クリスチャンの方々)は、この「神様との関係」によって日々励ましを受け、力付けられているのです。
妻からの励まし以上に、ですね。

以前に妻が某キリスト教子供誌に「すごい電話」と題して、神様への祈りについて書いたことがあります。クリスチャンは、どんな場所でも、どんな状況でもできる、「祈り」という神様とのホットラインを持っており、それはケータイ電話以上のすごいものなのです、という内容のものでした。

ケータイをなくしてみて、改めて「神様との繋がり」が与えられている幸いを感じさせられました。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:できごと, 08:13
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