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人が、ひとりでいるのは良くない
タイトルの言葉は聖書の創世記にある、神様がアダムを創造された時の言葉です。
人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2章18節)

関西弁風に言えば、以下のようになるでしょうか。
「アダム……こりゃアカン! だれか、しっかりしたヨメさん、つけてやらねば!」

ダメなアダムが「助けて〜」と言うと、エバが「しっかりしなさい!」と助けに現れる、という構図ですね。

ここはクリスチャンの結婚式で良く読まれる聖書箇所なので、ご存知の方も多いでしょう。

実は、片岡町キリスト集会の方が、明日、結婚されます。

なので、しみじみとこの聖句を読んでいたのですが……ふと思ったのです。

「ひとりでいるのは良くない」は、結婚に限らなくない?

むろん、この箇所はエバの創造に展開していくので、直接的には間違いなく「結婚」のことなのですが、
もっと広く、人間関係全般に捕らえることもできるのではないかな、と思ったのです。

「ひとり」は気楽です。
「ひとり」なら、気兼ねも遠慮もいらない、
他人との軋轢や意見・感覚の相違で傷ついたり悩んだりすることもない、
ちょっかいを出されたり、妨害されたりすることもない……。

でも、「ひとりでいるのは良くない」のです。
傷つこうが、思うように進まなかろうが、それでも「ひとりでいるのは良くない」のです。

私たちには、それぞれに、さまざまな能力が与えられている、と聖書は語っています。
そして、それは「皆の益となるために」与えられているのだ、と語ります。
「皆(他の人々)の益となるために」……
私たちは、それぞれ「他の人々」の「助け」になるために生まれてきたのだ…ということです。
私たちは、それぞれが周囲の方々の「助け手」なのですね。

絆(きずな)には「傷」が含まれる、という言葉も聞いたことがあります。

人と人との絆には傷がつきものです。
でも、「ひとりでいるのは良くない」。
お互いが「助け手」として支え合えれば…、思うように進まなくても、
思ってもいなかった素晴らしいことにたどり着く、のではないでしょうか。

人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。
(コリント人への第一の手紙2章9節)
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 16:41
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何についても、先走ったさばきをしてはいけません
聖書に次のような言葉があります。
「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。」 (コリント人への第一の手紙4章5節)

聖書には、人間関係のあり方についての勧めも多数書かれています。
この箇所もそうです。
「何についても、先走ったさばきをしてはいけません」
不完全な人間が、不十分な知識・情報で「あれが正しい、これが間違っている」とさばきをしてはいけない、という勧めです。
正しいさばきをすることができるのは神様だけですから、私たちが他の人をさばくのは越権行為なわけですね。

でも、ついつい、さばいてしまうんですよね。
聖書を「知っている」のと「実行する」のは大違い。
実行は難しいです。
難しい言葉では「非審判的態度」と言うそうです。
さらに難しく感じますねぇ。

ところで、こうした勧めを読むと、「すぐに勝手な理屈でいちゃもんをつけてくる人」に対して、「やっぱり、あの人は間違っている」とさばいてしまいますよね。
でも、この勧めからすると、そうしたことも「先走ったさばき」なわけです。
難しいですよね。

聖書の勧めは、あくまで「神様から自分に」。
他の人をさばくために用いてはいけないのです。
(注:指導の任務のある場合は別。ただし、十分な配慮をもって。)

JUGEMテーマ:日記・一般

author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 18:18
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2014年賀状
今年の年賀状のパーツをばらして…ちょっと加工して…公開します。
2014年賀ロゴ
旧年中は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いします。
2014年賀イラスト
↓「八重の桜」で山本覚馬氏が引用していた聖書のことばです。
2014年賀_聖句
このことばって、ご覧のように聖書に2回(イザヤ書とミカ書)出てくるんですよね。
それだけ重要なことで、ボクたちが目指すべきことだと思うのです。
JUGEMテーマ:大晦日/お正月


author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 00:10
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玉穂・新年学び会のメモ
昨日、玉穂キリスト集会(山梨県中央市…甲府の隣)が主催する「新年学び会」に参加してきました。
この「玉穂集会・新年学び会」は毎年 元日・1月1日に開催されています。
その日は片岡集会でも元旦学び会をおこなっているので、自分の集会を置いて行くわけにいかず、なかなか参加できずにおりました。
でも、今年は元日が日曜日だったため、開催日が1月2日になったのです。
このチャンスを逃してはならない…と、甲府まで行ってきました。

聖書の学びも交わりも幸いでした。

ということで、メッセージのワンポイントを備忘録を兼ねて掲載します。

◆学び1:天王台集会 N兄
カレブの歩みから学ぶ。
民数13章14章
カレブは12人の偵察隊の一人。
10人が悪い報告をし、カレブとヨシュアの2人だけが、正しい報告をした。
10人の報告により、民は失敗し、40年の荒野の放浪を招くことになった。
偵察隊は各部族の族長……エジプト脱出の奇跡を経験し、荒野で毎日天からのパンを食べ、神様の力を体験していた人々で、更にそうした神の民を束ね、指導する立場の人々だった。
物事をわかっていない人ではなく、正しい判断ができる人として期待されて選ばれた人々だった。
そして同じ時に同じ所に遣わされて、同じものを見た……でも判断が違う。
10人が失敗し、カレブとヨシュアはお預けをくった。そして45年後、カレブの信仰は揺らがない。(ヨシュア記14章)
「主が共におられる。恐れてはならない。」
「主は…渡されている。上れ。…恐れてはならない。」
カレブはこの神の約束を信じた。
この約束は今も変わらない。(マタイ18:20、28:20)

この約束が有っても、人は間違えることがある。
1から10まで正しいのはイエス様のみ。
判断基準は聖書。先輩の信仰者であっても間違えることがある。
でも、人は悔い改めることができる。詫びることもできる。

共にいてくださるイエス様を信頼して、聖書に従い、失敗しても悔い改める者でありたい。

…と、ここまで打って時間切れです。
明日からまた仕事ですから休んでおかないと…。
残りのメッセージはテーマのみの掲載とさせていただいて、内容は後日……できるかな。


◆学び2:上柴集会 I兄
クレネ人シモンから「十字架を負う」を考える。


◆学び3:川越集会 K兄
ユウオデヤとスントケの問題から「一致」を考える。

なんだか片岡集会の元日のメッセージと共通するように思います。
最初が
「イエス様は私たちと一緒にいてくださる」
次が
「イエス様のための働きについて」
最後が
「批判し合わないで一致しよう」
……ですよね。

イエス様からの語りかけとして受け止めたいと思います。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 22:30
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元旦の集会メモ
昨日・元旦の集会でのメッセージのワンポイントを備忘録を兼ねて掲載します。

◆建徳
イエス様に似る者となろう。
「WWJD:イエス様なら、どうされるか」をいつも意識していこう。

◆福音:前半
イエス様は私たちを決して見捨てない。
人は人と繋がっていないと不安になる。逆に、繋がっていて励ましがあると、困難が有っても乗り越えられる。
イエス様の十字架は私たちの罪を取り除き、私たちと繋がるため。

◆福音:後半
「マリヤの香油注ぎ」から。
イエス様にどれくらいの価値を見るか?
300デナリ以上の香油を注いでも惜しくないと思ったマリヤと、銀貨30枚としか思わなかったユダ。私たちはどうか?
イエス様に香油を注げるタイミングはこの時だけ。働きや、いろいろなものにはタイミングがある。見極めないとチャンスを逃す。
今年、価値と時を見極めて行動しよう。

◆特別学び会
「すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい」1テサロニケ5:21
幕屋の作り方を見てもそうだが、聖書では素材やサイズなどの基本は規定しているが、模様などの細かい実際的な部分は作り手に委ねられている。
この「命じられていること」をしっかり守ろう。そうでない「各個集会の長老判断に委ねられていること」を断じて批判するのは誤り。
指導者たちの生活の結末、実を見て判断する。

バランスの取れた生活を送ろう。
「聖書に書かれているから」と、部分的に強調するとおかしくなる。
学び・伝道・慈善はどれも大切だが、他をないがしろにするほどに重要視するのは問題。

「反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者がいます。特に割礼を受けた人(戒律的な人)がそうです。」テトス1:10

批判し合うのではなく、ほんとうに大切な部分で一致しよう。

2012年元日学び会の様子
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 10:14
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遅ればせながら、大京町集会主催の新年特別聖書学び会で教えられたこと
遅ればせながら、大京町集会主催の新年特別聖書学び会で教えられたこと(特にボクの印象に残ったこと)を、備忘録も兼ねて、列記したいと思います。
繰り返しますが、ボクの印象に残ったこと、です。
全体の要約ではありません。
お間違えのないよう、お願いします。

学び1
生き方・日々の歩みが聖書に基づいているか、吟味しよう。
「クリスチャンの先輩からこう教えられた」「集会(教会)では伝統的にこうしてきた」ということが、本当に聖書に基づいているか再確認しよう。
いつの間にかズレてしまっている部分があるかもしれない。

学び2
1列王記13章には、力ある働きをした若い預言者が、年寄りの預言者にだまされて、神様の言葉にそむかされ、死んでしまった、ということが書かれている。
先輩の言葉だから、と、無思慮に受け入れてはいけない。
聖書に照らして吟味しなければならない。
……これをご自分のことを含めて(語られたのは、お年寄りの伝道者の方)言われたのだとすると、たいした方です。

福音
ルカ15章の失われたものを探す3つのたとえ話しから「私を探し求めている神様」について、青少年向けに語られました。

学び3
ヨハネ6章の5000人の給食から、神様の恵みを味わう。
イエス様は私たちの能力的には無理なチャレンジを与えられるが、それは私たちを神様のわざに参加させるため。
弟子たちは、普通にできること(人々を座らせること、パンと魚を配ること、余ったパン切れを回収すること)を忠実にすることで、イエス様のなさった奇跡を人々に届けた。
私たちは、するべき小さなことを、ひとつひとつ忠実にしていこう。

学びの4は帰りの都合で聞けませんでした。
後で録音を聞かせていただこうと思っています。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 19:25
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悪魔の誘惑
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、…(聖書 創世記3:5)

これは、エデンの園で、悪魔がアダムとエバを誘惑したときの有名なことばです。
こんなミエスイタ誘惑に、あっさり引っかかるなんて……ボクなら引っかからないな……と思っているかた、多いのでは?
でも、このパターンの誘惑、意外とあるように、思います。

同じ創世記で、同パターンの誘惑が、いくつかあるので、その中の有名な2つをあげてみます。

第一の例
サライはアブラムに言った。「ご存じのように、【主】は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」
(聖書 創世記16:2)

アブラムを、奥さんのサライを使って悪魔が誘惑しています。
サライさん本人は良い人で、ヘブル書などでは「りっぱな信仰の人」とほめられているほどの人です。
悪魔はその人を使いました。
悪魔は、最初から悪魔だとはっきり分かる姿で誘惑してこないようです。

エデンの園でも、ヘビを使いました。
ヘビは今でこそきらわれる生きものですが、その時は「もっとも賢い」と評価されていました。

信頼できる人から、もっともらしい現実味のある提案…神様が子供を産めないようにしているのだから、女奴隷をめかけにして子供を産ませよう…が、なされました。
論点は二つ。
・神様がいじわる
・女奴隷をめかけに
ちょっと考えれば分かることですが、これはやってはいけないことです。
パワハラのセクハラです。
しかも、神様からは、子孫の約束がありました。
神様の約束を信ぜずに、良くない方法で勝ち取ろう、という誘いなわけです。

結果は悲しいものでした。
アブラムにも、サライにも、女奴隷ハガルにも、そして生まれたイシュマエルにとっても。
みな、つらい思いをすることになります。
唯一の救いは、神様は、そんな中でも、イシュマエルとハガルに水を備え、保護された、ということです。

エデンの園でも同じでしたね。
人は「神のかたち」に創られていたのに、「神のようになれる」と誘惑し、「神のようになる」どころか持っていたはずの「神のかたち」が歪められ、損なわれてしまいました。


第2の例
母は彼に言った。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」(聖書 創世記27:13)

ヤコブに対し、母リベカを使って悪魔は誘惑しました。
共謀して父イサクをだまし、兄エサウを出し抜き、特別な祝福を奪い取ろう、というものでした。
考えるまでもなく、これは悪いことです。
ヤコブ自身、そんなことをしたら、「私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになるでしょう。」(聖書 創 27:12)と答えています。
そして、ヤコブは悪いことと知りつつ、父イサクをだまし、特別な祝福を受けました。

結果は…やはり、みながつらい思いをすることになりました。
ヤコブは祝福を受けはしましたが、それを行使することはできず、逃亡し、長い期間寄留者の暮らしをしなければなりませんでした。
リベカはこのことによって生きている間は2度とヤコブに会うことはできませんでした。
イサクやエサウも「だまされた」という苦い思いを抱きながら生きることになります。

ヤコブが最初に思ったように「祝福どころか、のろいをこの身に招」いてしまったのです。

悪魔は今も時々このパターンで誘惑してきます。
正しい判断、応答ができるよう、祈りつつ歩みたいものです。

また、そうした失敗の中でも神様の救済の手は差し伸べられます。
それは、ゆがめられた「神の形」を回復させるために、神の子イエス・キリストが人となって来られて、十字架に掛かり、私たちを贖ってくださったことに良く現れています。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 12:28
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ロトさん家の夫婦関係
昨日の建徳の学びはK長老によってアブラハムとロトの住まいの対比から、心のベースの在り方について教えられました。

終わってから妻が言うのです。
「今日、K長老がアブラハムとロトを対比して読まれたのを聞いていて初めて気が付いたのだけど……。ロトの夫婦関係って良くないと思う。」
「どういうこと?」
「主の使いが来た時、アブラハムは奥さんに食事を作るように指示したけれど、ロトはそう書いてないよね。
聖書の書き方だとロトが自分で料理を作ったように読めるよね。
ロトは主の使いをもてなしたかったけど、奥さんは『この忙しいのに、なんで客を連れて来るのよ!』と、言う感じだったんじゃないかしら。
ロトは確かに問題ありだったけど、奥さんも夫の権威を認めていない人だったんじゃないかしら?」
「なるほど、相乗効果でスパイラルダウンしていったんだね。」
「正しい夫婦関係であれば、どこかで回復できたんじゃないかしら。
なにが先とはわからないけど。」

う〜む。考えさせられます。
夫婦、互いに気をつけねば。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 15:46
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サマリヤの女とリベカとのリンク
先日、「ヨハネの福音書」と「旧約聖書」とのリンクについて少し書きましたが、その中の「サマリヤの女」(ヨハネ4章)と「リベカ」(創世24章)とのリンクについて、もう少し詳しく書きたいと思います。

この二つの話しは、多くの点で共通しており、その相違点を見ていくと、旧約(律法)と新約(福音)の違いがはっきり現されているのです。
同一のモチーフを用いることで、福音の卓越性が現されているのです。
福音書記者のヨハネは、イエス様の公生涯が、みごとに旧約聖書の主要なできごとをなぞりつつ、よりすばらしいことを現していることに気がついた時、感動したのではないかと思います。
イエス様を「神のことば」とヨハネが表現するのはそうしたことも背景にあるのではないでしょうか。
以下、「リベカ」の記事は[創]、「サマリヤの女」の記事は[ヨ]と表記します。

類似点:まず、どちらも嫁取りの話しから始まっています。
[創]アブラハムがしもべにイサクの花嫁となる女性を連れて来るように命じている。(創世24:1〜)
[ヨ]バプテスマのヨハネがキリストとその花嫁となる教会の結婚について語っている。(ヨハネ3:22〜 )

相違点:
[創]代理人であるしもべが行く。→神の代理人である預言者たちを通して律法は与えられ、約束の民は導かれた。
[ヨ]キリスト本人が出向く。→福音は神であるキリストご自身によってもたらされた。

共通点:同じ時間。
[創]夕方の水汲みの時間。/ [ヨ]夕方6時。

共通点:同じシチュエーション。
長旅で疲れた人がいる井戸端に、水汲みの女性が登場する。

共通点:呼掛けのことば。「水を飲ませてください」

相違点:上記の呼掛けの意図。
[創]花嫁にふさわしいかどうかのテストだった。しもべだけでなく、らくだにも水を汲んで飲ませれば合格。→律法の本質。律法は人が神の国にふさわしいかどうかのテスト。命じられていることの奥底にあることまで読み取って行なえれば合格。例)「殺してはならない」は「人に憎しみをいだかない」こと。
[ヨ]自分の必要に気づかせるためのきっかけだった。水か欲しいのではなく、逆に「いのちの水」を与えたいがため。→福音の本質。救いは行いによらず、ただ受け入れる(信じる)だけで与えられる。

相違点:呼び掛けられた女性の背景
[創]アブラハムの親戚で、人格もすぐれている。→契約の民で正しい者。
[ヨ]サマリヤ人で、夫を5人変えて6人めの男性と現在同棲中という、かなり乱れている人。→血筋も行状も正しくない。

相違点:女性の反応
[創]快く水を汲み、らくだにも与えた。→律法の基準に合格。
[ヨ]文句を言った挙げ句、水を汲みもせず、与えもしないで、イエス様の話を聞く。→行いはない。

共通点:水を求めた人への食事の提供と、それに対する応答。「用向きを話すまでは食べない」

類似点:用向きの内容(詳細は最初に書いたとおり)

共通点:聞いた人達の反応。「もっと一緒に居て欲しい」

相違点:それに対する応答。
[創]拒否して、すぐに帰る。
[ヨ]応じて、二日滞在する。→神、我らと共にいます。

結果:
[創]リベカから、イスラエル民族(契約の民)が生まれてくる。(系譜のはじまり)
[ヨ]この女性をきっかけに、この地域の多くの人がイエス様を信じる。(この地域での信仰のはじまり)

相違点:連なる人々の態度
[創]…には特にないが、新約では「自分たちの父はアブラハムだ」との、民族への帰属によるアイデンティティー。
[ヨ]「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」…個人的にイエス様との関係を確立する。

どうですか?
ざっと羅列しただけですが、新約と旧約の特徴を実に良く現す出来事だと思いませんか。

出来事で教えを現してしまう……なんて、イエス様は本当にすごいですね。
教えの中身もすごいですけど。

ところで、蛇足ながら、このサマリヤの女性が水を汲みに来た時間について、ちょっと触れておきます。
日本のクリスチャンの中に広まっている伝説では、昼、水を汲みに来たことになっています。
実はこれは誤訳に基づくものです。
ヨハネの福音書は他の書簡よりかなり後、ヨハネの晩年に書かれました。
世界帝国となっていたローマを背景として、ユダヤのことを知らない、多数の世界市民に向けて書かれました。
そのため地名にローマ名が併記されていたり、祭について「ユダヤ人の」とわざわざ書いたりしています。
時間についてもローマで一般的に使われていたローマ時間(今も私たちが使っている時間です)で記述しています。
ところが、これをユダヤ式時間表記(6時間ずれます)と勘違いして誤訳され……。
……しかも、その誤訳に基づいて、日本人の心を打つ美しい講話(この女性が人目を避けてあえて熱い昼日中に水汲みに……という影で耐えている女性像)が作られて……。
……しかも、『チェーン式聖書』という『新改訳聖書』に「簡易注解」を付けたものがあるのですが、聖書本文の注(聖書翻訳者の注)には「ヨハネはユダヤ式時間表記ではない」とあるのに、簡易注解でそれを否定し「昼の12時」と書くほどの……。
最新版の『チェーン式聖書』(第3版対応版)では改まっていますが……。

すみません。蛇足でした。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 07:50
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「ヨハネの福音書」の面白さ・旧約とのリンク
最近、気がついたのですが「ヨハネの福音書」は旧約聖書と密接にリンクしているようです。
「ようです」と言うのは、ボクはまだ途中までしかわからないからです。
どなたか、そういうことに触れている注解をご存知ありませんか? ボクの手持ちの注解類には書いて無いので……。
と、いうことで、ボクの独善の可能性があるので、以下のことは吟味して読んでいただきたいのですが、でも、ボクはワクワクしています。
「聖書ってすごい!」と思います。
「奥深い」と言われる「ヨハネの福音書」ですが、本当に面白いです。
「ヨハネの福音書」に記録されているできごとは旧約の主なトピックを下敷(という言い方でいいのでしょうか?)とし、旧約の新約的意義や、旧約に勝る新約を浮き彫りにしているようです。
その点では「ヘブル人への手紙」と通じるところがありますね。

まずは、イエス・キリストの卓越性を語っている主なことばを上げます。

その方は私(バプテスマのヨハネ)にまさる方である。(聖書 ヨハネの福音書 1:30…以下、書は同じなので、章節の数字のみ記載)
あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。(4:12)
モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。(6:32)
あなたは、私たちの父アブラハムよりも偉大なのですか。(8:53)



「ヨハネの福音書」と「旧約聖書」との対比表
(…まだ8章の途中までです…)
ヨハネの福音書旧約聖書備考
序文(1:1〜18)天地創造のはじめ、光とやみ(創1:1〜4)「ヨハネの福音書」は天地創造の前まで遡って、先在の「ことば(イエス様のこと)」から話しをはじめている。
最初の1週間(1:19〜2:11)天地創造の1週間(創1:3〜2:3)ここまでの対比はいくつかの注解に出ていました。「ヨハネの福音書」では第七日目に「カナの婚礼での奇跡」を載せ、安息日本来の意義─単に仕事をしないのではなく神様とともにある婚礼の宴であること─を示している。
しかも、ぶどう酒を備えられたのはイエス様。
その後の安息日論争の前哨であり、わざの完成(十字架)までも示唆している。
母や兄弟たちや弟子たちといっしょに過ごす(2:12)エデンの園神様と人との親しい交わりの期間。長い日数ではない。
最初の宮きよめ(2:13〜22)失楽園(創3章)神様の家(神殿・エデン)から、ふさわしくない者が追い出される。
過越の祭りで、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て信じる(2:23〜25)ノアの箱舟(創6〜9章)神様の大きなわざ(さばき・恵み)を経験しても人の本質は変わらない。
「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。」(創8:21…洪水後、箱舟から出てきた人に対する神様のことば)
「イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられた」(2:24,25…信じたという人々に対するイエス様の態度)
ニコデモとの対話(3:1-15)神様とアブラハムとの契約(創15章)夜、神様(イエス様)の元に老人が来て、神の(人の常識を越えた)約束を聞く
聖書の富士山(3:16-21)アブラハム、イサクをささげる(創22:1-19)ひとり子をささげる。旧約最初の愛(アバハー)/ヨハネ最初の愛(アガパオー)。
バプテスマのヨハネの証言、サマリヤの女(3:22-4:42)リベカがイサクの花嫁となる(創24章)夕方の水汲みの時間に井戸端で水を求めた旅人に出会った女性が、祝福の系譜のはじまりとなる。
この対比は面白いので、後日もう少し詳しく載せます。
王室の役人の息子のいやし(4:46-54)ヨセフが生きている(創45章)遠く離れた場所で、死んだと思われていた(死にかけていた)息子が生きている
ベテスダの池での癒し(5章)出エジプト・荒野での放浪38年間[病/放浪]、神様の一方的な憐れみによる救い
5000人の給食(6章)出エジプト・天からのパン神様が大勢の人に食べ物を供給
仮庵の祭りで「生ける水」の講話(7章)ダビデの油注ぎ(1サムエル16章)兄弟たちが先に行く。人はうわべ、神様は心を見る。聖霊が注がれる(予告)。
姦淫の現場で捕まえられた女(8:1-11)バテ・シェバ事件(2サムエル11章)言わずもがな

author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:今日の聖句, 23:03
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