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母の日
母の日の花
「母の日」なので子ども達に「お母さんにカーネーションをプレゼントしようね」と言いまして…
途中までは「いいね。いいね。」で、カーネーション+お花の寄せ植え(上の写真)を選んだのですが…
支払いになって、子ども達が「えっ!私たちがお金出すの?」と……。
ボク「君たちの『お母さん』なんだよ。お父さんからみたら、『妻』だからね。」
子ども達「お父さんのケチ!」
ボク「いや、そういうことではなく…」
子ども達「お父さんが出してくれたっていいじゃない。」
母の日の花(上から)
結局、ボクが支払いをして「子ども達」に与えて、子ども達が「お母さんありがとう」と……。
まあ、いいですけどね。

考えてみれば、神様はもっとすごいことをしてくださっていますよね。

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(聖書 マルコ 10: 45)
JUGEMテーマ:母の日
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:子育て(己育て), 17:03
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卒業式
先日、息子の卒業式に出席しました。
息子が、ああ息子が、なんと、ついに、小学校を卒業です!

この息子の晴れ姿を写真に撮ろうと……

頭の影
あ、前の人の頭に隠れてしまった…。

卒業証書授与
校長先生から「卒業証書」をいただきます。

退場
う…動きが速い…。

プライバシー保護で写真をボカス必要がほとんどない、
という、みごとな写真が撮れてしまいました。
う〜ん。

写真は「まあそんなもの」でしたが、式そのものは無論、感動でした。

校長先生の訓示やPTA会長さんの挨拶、卒業生と在校生の送る言葉のやりとり…みなさん、素晴らしかったです。

校長先生は、ソチのパラリンピックの閉会式のパフォーマンスを取り上げ、「みなさんも『impossible 不可能』を『I'm possible 私はできる』に変えていってください」と励ましていました。

「I'm possible は正しい英語ではない」とかいう声もありますが、別に英文法のお勉強をするわけではありませんし、いい語呂合わせ(?)ですよね。
特に、巣立っていく子供たちを応援するのに、良い言葉だな…とボクは感動して聞いていました。

PTA会長さんも、親にとって泣かせる応援メッセージで、有り難かったです。
PTA会長さんは後で「メチャメチャ緊張した」とおっしゃっていましたが、先生方にも地域の方々にも恵まれましたね。

息子も、意外にちゃんとしていましたし、日曜学校に来てくれている子どもたちも、みんな凛々しく素敵でした。
みんな成長したなぁ。

式が終わってから、妻が言っていました。
「泣いている先生や保護者はいたけど、泣いている子どもはいなかったように思う。
ほとんどみんな、同じ中学に進学するからかしら?
中学の卒業だとみんなバラバラになるから変わるのかしらね。」
う〜む。そんなところには気が付かなかった。でも、そうかもしれないね。
単に、小学校を「卒業する」という意味が良く分かっていないだけ、という気もするけど…。

親から見ると、「そんなんで中学生になれる? 大丈夫か?」な息子。
式後、息子に言おうと思って…でも止めました。
「小学校卒業、おめでとう。
これから、いろいろ荒波が(自業自得を含む)あると思う(というか目に浮かぶ)が、がんばれよ。
ボクら親は、キミの味方だぞ(叱りはするけど)。」
ボクが言うとムクレルだけに思えるし、こんな内容のことは校長先生もPTA会長さんも言ってくれていたし…。ねぇ。

…と思いながら、ふと自分を振り返ると、まさにそれはボク自身ではないですか。
○○研修を修了…していながら、身に着いていない「そんなんで大丈夫か?」状態のボク。
自業自得の荒波にしょっちゅう揉まれているボク。
味方の妻や集会の兄弟姉妹や周囲の方々の差し伸べてくれる手に、感謝するどころかムクレたり……。
何よりボクを助け導こうとされる神様の語りかけを無視することの如何に多いことか……。

息子よ、未来に向かって、何度つまづいても立ち上がって進んでいこうな。
お父さんもがんばるよ。
ヌケてて危なっかしいボクだけど、全能の創造主である神様が味方なんだからね。


主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
(聖書 詩篇121篇8節)

author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:子育て(己育て), 18:01
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「おかえり!」
こんにちは。とんとんです。

朝夕、めっきり涼しくなってきましたね。
日差しも秋めいてきて―
夕方などは、心なしか寂しい感じ…しませんか?

さて、今日はことんとんのお話し。
ちょっと時間を遡りまして、夏休みのことです。

今年は、かなりつまらない夏休みを過ごしていたことんとん。
お楽しみは、千葉県のK集会主催のバイブルキャンプに参加して、その後に愛知県のOさんのお宅に行くこと。
バイブルキャンプでお話をされるOさんが、愛知から、なんと高崎経由(こざるとことんとんを迎えに来るため)で千葉県へ…
Oさんは、いつもこざるとことんとんに、「これ以上できないでしょ!!」というほど良くしてくださいます。
当然のことながら、こざるとことんとんは、Oさんがだ〜いすきです。

お出かけ前の夏休みのある日、ことんとんが少しつまらなそうに一言。
「家がOさんのところみたいに楽しければいいな。」
―まぁね。今年はどこにも連れて行ってあげてないしね。―
そう、思いつつ、
「もう少ししたら、行けるじゃない。きっとすごく楽しいよ!」と、とんとん。

「うん、すごぉく楽しみ〜!!!」と、ことんとん…ううっ、母、少しさびしいッス(T_T)

そんなこんなで、二人で出かけていきましたよ。見送るとんとんを振り返りもせずに!!…母は、か〜な〜り、さびしいっ!!
二人の大冒険は、10日間。
K集会のバイブルキャンプの後は、Oさんの集会(教会)のみなさんと楽しい時を過ごすわ、友達になった子ども達と釣りをしまくるわ、お楽しみな毎日。

二人が戻る予定の日、『楽しすぎて、戻ってこないかも!?』とどきどきしながら、とんとんは到着時間の連絡を待っていました。
高速のサービスエリアからだと、Oさんがかけて下さった電話。
「ことんとんちゃんにかわるね。」
「おかあちゃん、ことんとんでちゅ。おかあちゃん、おかあちゃん。」…ど、どうしたんだ、ことんとん!?
「なんかね〜、家に近づくにつれて赤ちゃんになってる人がいるんだよぉ。」と、Oさんが笑いながら話してくれました。

少し早めに外に出て、プランターの水やりなんぞをしながら待っていると、来ました、来ました。
車の中で、満面笑みで手を振る二人、帰って来たね。良かった良かった。

愚問ながら、とんとんの一声は「楽しかった?」
「うん、ちゅごく楽ちかったぁ〜」と答えることんとん。「でもね、ちゃびちかったのぉ〜」
「えっ!?楽しかったんでしょ?」と、とんとん。「うん、でも、ちゃびちかったのぉ」
―あ〜、だから、赤ちゃん言葉で甘えてるのねぇ―
「そっか。お・か・え・り。」
むぎゅ〜。 10日分ことんとんを抱きしめました。


とんとんは昔、大人になると「悲しい」とか「寂しい」とかいう思いにもっと上手に対処できるのかな〜と思っていました。
でも、年をとればとるほど「寂しさ」や「虚しさ」は、更に深くなるもんですね。
子どもの頃は、自分を愛してくれる誰かさんの腕の中で休めますが、大人になると休ませてもらうより休ませる方が多くなるような(もちろん、それはそれで幸せですが…)。
時には、いい大人でも「さびしかった…」と、自分を心から愛してくれる誰かさんに言いたいですよね。

ことんとんの甘えた姿に、とんとんは自分を重ねて、なんだか嬉しい気持ちになりました。
「何故?」
実は、聖書の中にね、家出をした息子を待っているお父さんのお話があるんです。
興味がある方は、是非読んでみてくださいね。
息子が出ていった日からずっと息子の帰りを待っているお父さん。
このお父さん、人間が自分の元に帰ってくるのを待っている神様のことを表しているんです。

いい大人になった人でも、恥ずかしげもなく、このお父さんには「寂しかった〜」と言えるのです。
父なる神様は、温かい声できっと言ってくださいます。「おかえり」と。


ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。(聖書 ルカの福音書15章20節)
author:とんとん, category:子育て(己育て), 22:10
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小学校の運動会
先週末の土曜日は、小学校の運動会でした。
運動会入場行進
今はどの小学校もそうかと思いますが、昔のような単純な競技ではなく、様々な要素を採り入れた芸術性の高いものをやっています。
運動会開会式
低学年はダンスの類いが主ですが、高学年になると集団での動作表現や、組体操を採り入れた「組み立て表現」と呼んでいるものをやります。

で、息子は5年生なので、その「組み立て表現」をやりました。
ところが、5年と6年が合同で演技するもので、「ウォーリーを探せ」状態で、息子が何処にいるのか分かりません。

小学2年生の娘は親に見てもらいたい年頃なので、「自分はどの辺りでダンスしてどのように動いて演技する」のか教えてくれていたので、しっかり観ることができました。
運動会での娘のダンス1
娘のダンスです。
運動会での娘のダンス2
娘、回ってます。
運動会での娘のダンス3
娘、ヒラヒラしてます。
運動会での娘の玉転がし
娘の玉転がしです。

が、息子はさっぱりで…。
ともかく、「息子を探せ」で、演技している生徒達を見回すのですが、見当たらず…。
息子はどこだ?
(゜Д゜≡゜Д゜)?だ!?
(`Д´≡`Д´)??だ!?

演技は次々進んでいきます。
組立表現は進んでいるけど…
息子は何処だ〜!?

………
……


ようやく見つけられたのは、演技がもうすぐ終わるという最後のハンカチを振る場面。
ようやく見つけた時はハンカチふっておしまい
ハンカチをヒラヒラさせて退場です…。

やれやれ、全然見なかった訳ではない、ということで、言い訳は成り立つかな…と勝手ながら思っておりました。
その時、本部役員仲間のママさんが、
「5、6年生の演技、すばらしかったですね。
感動して、涙が出てきちゃいました。」
と、おっしゃったのです。
あ…演技は…
息子を探すのに夢中で、演技を見ていなかった…です。
あぁ、残念!そんな泣ける演技を見逃すなんて。


「木を見て森を見ず」ということばがありますが、この時のボクはまさしくそうだったわけですね。
もったいない。

運動会の観戦に限らず、様々な場面で、「木を見て森を見ず」という、もったいないことは起こりうることだと思います。

聖書を読む時にも、枝葉の部分が気になってしまって、メインテーマを見逃してしまう、ということがあるように思います。
それって、もったいないですよね。

「主の恵みはとこしえまで。」
(聖書 砧鯊16:34、砧鯊16:41、粁鯊7:6、詩篇118:2、詩篇118:3、詩篇118:4)
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:子育て(己育て), 11:49
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それが原因だ
ちょっと前のことになりますが、娘の誕生日のことです。
「誕生日プレゼントは何がいい?」
すると娘は「バスケットボール!!」
娘の友人にミニバスケットを始めた子どもがいるらしく、その影響でボールが欲しくなったようなのです。
実際に、どの程度ボールで遊ぶか、はなはだ疑問なのですが、運動不足が明らかな娘が少しでも運動するなら…と買うことにしました。
すると息子が
「妹にだけボールを買うのはずるい!
ボクにもサッカーボール買って!!」
となんとも勝手な「買って」攻撃。

「こら息子!
君の誕生日じゃないでしょう。
どこが『ずるい』んですか。
しかも、君はすでにサッカーボールを持っているじゃないか。」
すると息子は
「だって空気が抜けてダメなんだもの。」
「なんだって!?この間、買ったばかりじゃないか!
もう空気が抜けちゃったの?
前のボールもそうだったよね。
こんなに早く空気が抜けるなんて変だよね。
いったい、どんな使い方をしたの?」
「だって本当に空気が抜けちゃったんだもん。」

…答になっていないのですが、妻と娘が息子をあわれんで、結局、息子のボールも買うことになりました。
やれやれ。

娘はバスケットボールを買ってもらい、息子はサッカーボールを買ってもらって、教会のすぐ前の公園で遊びはじめました。
息子も娘も、ボールのパッケージを散らばしたままです。
「自分で片付けろよな…」と思いつつ、パッケージを拾い上げると「注意書き」が目に入ってきました。

「ボールに空気を入れる時は、ポンプの口を石鹸水でよく濡らしてから差し込んでください。
渇いたまま差し込むと、差し込み口を傷つけ、空気が抜ける可能性があります。」


!! これだ!!
息子はサッカーをやりたがるのですが、実はサッカーはできません。
…親のボクが運動音痴で相手をしてやれないのが悪いのですが、息子はサッカーが好きと言いつつ、できないのです。
そのため、サッカーボールを持っても、ちょっと蹴ると(うまくいかないので手持ちぶさたになって)、ボールに空気を入れるのです。
…つまり、必要もないのに、頻繁にポンプを差し込む(しかも渇いた状態)ことで、ボールの空気口を傷めてしまい、空気が抜けてしまったのです。
今日買ったばかりで、まさか、まだ空気を入れることもないでしょうが、これは早く言っておかないと、このボールもまたすぐに空気が抜けてしまうでしょう。
注意書きを公園にいる息子の所に持って行って言いました。
「息子よ、君はよくボールに空気を入れているけど、今日買ったボールにはまだ入れていないよね。
空気を入れる時は、この注意書きをよく読んで…。」
すると息子は「空気、さっき入れた。」
「なにぃ!?さっき買ったばかりでしょう。
空気を入れる必要はぜんぜんないじゃん!!」
…息子はボクが思っていた以上に、空気入れたがりだったのです。
注意書きの内容を説明して聞かせました。
「いいかい。今まで買った二つのボールが空気が抜けてしまったのは、君が暇さえあればポンプを差し込んでいたためなんだよ。
空気を入れているつもりで、実は空気が抜けてしまうようにしていたんだよ。」
息子は「フ〜ン。そうなんだ。」と、いまいち良く分かっていない様子です。
「石鹸水を浸けてからやるんだね。」と息子。
「そうだよ。」とボク。
「わかったよ!」と息子が言うので、どこまでわかったのか不安に思いつつ、家に戻りました。

少しして、窓から公園を見ると、
息子がボールにポンプを差し込んでいます!!

さっき言ったばかりなのに!!
外に駆け出して、息子の所に行きました。
「ちょっと!
さっき言ったよね。
必要ないのに、やたらとボールにポンプを差し込むなって!!」
すると息子は
「え?ちゃんと石鹸水を浸けたよ!
正しいやり方で、やり直したんだよ!!」

う〜ん。分かっていない。
傷が着いたら、いくらその後、正しいやり方でやっても、傷は消えない…。

笑える息子の行状ですが、ボクら大人も、時々似たようなことをしてしまうように思います。

育てるつもりで潰していたり、守るつもりで壊していたり……いらない手を出し過ぎて願っていることと反対の結果をもたらしていることがあるように思うのです。

また「修理」が必要な間違いに気が付いた時に、正しいやり方をやって「やり直した」つもりになって、傷は残ったまま…
なんてこともあるような気がするのです。


……でも、その時は自分ではわからないことが多いですよね。

イエス様は聖書を通して、さまざまなことを気付かせてくださいます。
そして、正しい道を示すだけでなく、傷の完全修復もできるお方です…当人が望めばですが…。
だから、イエス様と共に歩む人生は幸いなんですよね。

…と、娘の誕生日なのに、話題をさらっていった息子に、自分の姿を見る思いでした。

[ことんとん]の誕生ケーキ!手作りのチーズケーキです。
娘の誕生ケーキ!手作りのチーズケーキです。

JUGEMテーマ:子供達との記憶
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:子育て(己育て), 15:12
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親バカですが……
親バカで、すみません。

先週のことですが、娘が小学校で描いた絵が市の特選に選ばれました。
娘はよくわかっていなくて、学校から渡されていた案内を渡されて、親のボクらがびっくりしました。

早速、娘を連れて、入選作が展示されている高崎シティギャラリーに行って来ました。

市内の各小中学校から選ばれた絵や作品が並んでいます。

絵の前で記念撮影。
入選作(一番上の金賞)の前で
娘にとって、入選した他の人の作品を見るのも良かったようです。

子どもが評価されたりするのって、親にとって嬉しいことですよね。
…それが行き過ぎて、子どもを親の自己実現の道具にしてしまうと問題ですが。
そう言えば、私たちの魂の親である神様も、かなり親バカな方ですよ。
次のような聖書の言葉があります。
「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。(マタイ 18: 10)」
社会的に小さな存在であっても、弱者であっても、神様は人がさげすまれたり、軽んじられたりするのを悲しまれる、ということですよね。

ボクのこともそのように思ってくださるわけですが、周りの人たちも、そのように思われているわけで…
そうした神様の思いを自分の思いとして、周囲の方々に接していけたら幸いですね。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:子育て(己育て), 10:07
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山菜料理に思う
以前にも少し書きましたが、このところ、山野草をいただいています。
タラの芽、コシアブラ、竹の子、等々……。
おいしいのですが、普通に売られている野菜と比べて、アク抜きなどの手間がかかる分、調理に時間がかかってしまいます。
時間がかかる料理は主婦泣かせですよね。
いつもの時間に料理を始めたのでは、いつもの時間に食事ができません。
場合によっては、前日から準備する必要があることも……。
山野草料理って、スローフードの筆頭と言ってもいいかもしれません。
お手軽に、食べたい時にすぐ食べられるファストフードは便利ですが「スローフードの方が栄養や、食育のために良い」とよく言われます。
山野草料理などのスローフードは、それ以外にも大事なことを教えられるように思います。

それは
「食べるためには『事前の準備』が必要」
ということです。

食べることに限らず、何がしかの益を得るためには、『事前の準備』をしなければならないことを体験的に教えてくれるように思うのです。

最近言われている、子どもの学力の低下や、切れやすい子どもの増加は…断言はできませんが…ファストフードに関係あるような気がするのです。

「食べたい時に、すぐ食べられる」のが当たり前の世界観では、
「まだ、お腹は空いていないけれど、食事の準備をする」という発想は、なかなか出てこないのではないでしょうか。
そこから「先を考えて準備をする」という考えが育たなくなり、
「授業のための予習」や「将来の夢に備えての勉強」をする発想が出てこず学力低下に繋がり、
「自分の欲求は、(準備が無かろうが、状況がどうであろうが)すぐに満たされなければならない」と思っているので、そうならない現実(状況や他人)に対して「切れる」ようになる……。
言い過ぎでしょうか。

ボクが思うのは、これは子どもだけの問題ではなく、「欲しいものを、欲しい時に」という利便性を追求してきた社会全般に対して言えるのではないかと思うのです。
利便性の追求は決して悪いことではないですが、便利に慣れてしまって、「事前の準備の必要性」を忘れてしまいがちになっていることが問題なような気がします。

「明日の朝、早く起きるためには(まだ眠くないけれど)今夜は早く寝ないと」
「虫歯にならないように、食事をしたら、すぐ歯を磨こう」

聖書では、こうした準備の大切さについて次のように言っています。

「蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。
 蟻には……夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。」
(聖書 箴言6:6〜8)

ところで、聖書では、いろいろな準備の中でも「この準備が一番大切」と言っているものがあります。

それは
「あなたの神に会う備えをせよ。」(聖書 アモス書4:12)
です。
創造主であり、魂の親である神様に会う準備……できていますか?
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:子育て(己育て), 14:14
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娘の入学式
昨日は娘の入学式でした。
いよいよ、ピカピカの小学一年生です。
大きな節目の日なので、仕事を休んで行ってきました。
学校の式典というものは、ボクは苦手なのですが…。
未来に向かって歩む子どもたちに幸あれ、と祈ります。

子どもの成長は早いな、と思います。
片岡の地に移り住んで…もう6年になります。
子どもの成長に比べて、ボクは何をしてきただろうか、人としてどのくらい成長しただろうか、考えさせられました。

被災地では入学式を行うどころの話しではない学校も多数あるとも聞いています。
そうしたところの復旧を祈ります。

ところで、今年は桜を始め花の開花が遅いですよね。
例年、この時期には満開だった庭のミツバツツジが、まだ2部咲きです。
寒い日が続いていたためかと思いますが、いろいろなところで常ならぬことが起こっていますね。
春分を過ぎれば、温かくなるのが当たり前……地面は動かないのが当たり前……。
当たり前じゃなかったかも……。
普通のことが普通にできるのは、感謝すべきことなんですよね。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:子育て(己育て), 17:03
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成長…するのですね。
こんにちは。とんとんです。
本日は息子のお話です。

今朝、小学校に行ってきました。
息子の小学校は音楽に力を入れているらしく、音楽集会というものが定期的にあります。朝の20分程度の時間を使って、各回、ひとつの学年が発表していきます。
今回は三年生の番でしたので、朝の八時に小学校へ行ってきました。
発表は二曲、一曲めは合奏と合唱、二曲めは合唱と踊り。

実は、この二週間、何度目かの反抗期に入った息子とバトルをしていました。
こちらの言う通りには決してしないということは、以前からありましたが、5月の連休が明けた辺りからさらに言葉も加わり、私は怒髪天をついていました。
『てんで、成長もしてない、子どものままなのに、口ばっかり達者になって!』
そんな思いでいっぱいでした。

が、今日、発表をしている息子の姿は、私の思うように「成長していない子ども」ではありませんでした。
確かに他の子ども達と比べれば、少々幼いところはあるものの、二年生の頃とは格段に変わっていました。成長している我が子の姿がそこにあったのです。

この二週間、反抗する息子を見ながら、実は自分の信仰の歩みについて考えてました。
信仰の成長を子どもの成長になぞらえることがありますが、反抗する息子を見ながら、私もまた主に対して反抗してきたことを考えていました。
両親ともにクリスチャンではなく、聖書の教える神様について深く考えることもなく育ち、自分勝手な生き方をした末に、自分の罪深さを知り、絶対的な赦しを求め、イエス・キリストに出会ったのは20年前でした。
しかし、自己チューな性質はそう簡単に変わらないものです。この20年、息子以上に反抗的な私は主を煩わせたに違いありません。
私が今、こうして主のもとにいられるのは、ただ主の忍耐と憐れみによるのです。

今日、息子の成長した姿を見たとき、表現しがたい思いが心にありました。頭にきて、悩んで、それでもいつも向かいあってきた息子。かけがえのない我が子…いとおしくてたまらない と思ったとき、「主もそう思って下さるだろうか、手がかかってしょうがない私をいとおしいと思って下さるだろうか」と愚かしくも
思いました。

20年間、この反抗的な者を導いて下さった主よ。「あなたの決めておられるように、私を生かしてください。」
JUGEMテーマ:子供達との記憶
author:とんとん, category:子育て(己育て), 13:24
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知恵のある子は父を喜ばせ…(聖書 箴言10章1節)
『manna(マナ)』という月刊ディボーション誌があります。
今、数名の人たちと集会の時間外で、個人的に試験的にやってみています。
複数人でやると、励まされて、なかなかいいんです。
その中で、昨日の箇所は「箴言10章」でした。

箴言は基本的に「親が子に伝える人生訓」なのですが、子どもが与えられて見方が少し変わりました。
共感することが多いです。

「ほんと『わが息子』を言い当てているようです。」

……複数のパパさんたちとの「わかちあい」で出たことばです。
以下、パパさんたちの声をピックして掲載します。


「…愚かな子は母の悲しみである。(1節)」…そのとおり! 息子のオバカぶりは、ママの頭痛の種だよ。

「無精者の手は人を貧乏にし…(2節)」…物を取る時は椅子からちゃんと立ちあがって取りに行くこと! 座ったまま椅子を転がして動くんじゃない。 それから、トイレで用をたしたらきちんと手を洗うこと! 水だけ流して洗ったふりですませるんじゃない。 それから…それから…。

「…刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。(5節)」…宿題は後でやる、とか言って、結局遊んで疲れて、明日の朝やると言って寝てしまって…。今日やるべきことを明日に伸ばすな!

「心に知恵のある者は命令を受け入れる。…(8節)」…そうだよね、知恵のある子だったら、親や先生の言いつけを受け入れるんだよね。全く言うこと聞かないもんな……。

「…むだ口をたたく愚か者は踏みつけられる。(8節)」…言いつけは聞かないで、勝手な分けの分からない言い訳ばかり言って……あまりに、あまりなので…踏みつけたくなるぅ!(ほんとに踏んじゃダメですよ。)

…今日の聖句は拡大して額に入れて、息子の勉強机の前に張っておきたいですね。(同感)


まあ、なんとも……盛り上がりました。本論外で。(←「わかちあい」がそれでいいのか?)

ひとしきり、笑った後で、

……でも、聖書って「あの人に読まそう」ではなくて「神様が私に語りかけている」ことばを聴くものですよね。
……そうそう。ボク等から見れば息子は困ったチャンだけど、神様から見れば、ボク等も同じように困ったチャンなわけで。
……それもそうだし、私の子供時代を思い出すと、息子と同じようなことしていたような気がするし。
……ここまで導いてくれた神様って感謝だよね。
……そうそう、神様はオバカに対して叱るけど、絶対に見捨てないですものね。

おあとがよろしいようで。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:子育て(己育て), 12:32
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