RSS | ATOM | SEARCH
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

author:スポンサードリンク, category:-,
-, -
小さないのちを守る会の軽井沢キャンペーンに参加しました
小さないのちを守る会の軽井沢キャンペーンに参加しました。
旧軽井沢銀座でチラシを配っていた集団の中のひとりがボクです。
チラシは「いのちの尊さ」を訴え、「婚前・婚外交渉はダメだよ。中絶はしないでね。悩んでいるなら、会が相談にのるよ。」というものです。
(もっと丁寧に詳しく書いてありますが)

必要な方に情報が届きますように。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 22:59
comments(0), trackbacks(0)
厚生労働省の要望って
某A新聞さんのサイトに「こうのとりのゆりかご」に関する記事がいくつか載っていたので拾い読みをしたのですが、「ん?ん?」なことがありましたので、ちょっと自分のブログでつぶやきます。
すみません。

2007年02月22日20時15分の記事で、
厚労省の「家庭福祉課など」からの要望として、
「市が許可する場合、病院に(1)ポスト近くに児童相談所や保健センターへの相談を促す掲示をする(2)赤ちゃんを預かったら必ず児童相談所へ通告する(3)安全や健康への配慮を徹底する(4)親が希望した時は、赤ちゃんを返せる仕組みを整える、ことを指導するよう」とあったのです。
(1),(2),(3)は当然でしょう。というか、慈恵病院さんは、きっとそのつもりでいたでしょう。(そのための施設ですよね)
でも(4)は……これは、決してやってはいけないこと、です!
児童福祉施設でも聞く話しです。
親が経済的に困窮して子どもを施設に預け、数年後、親が子どもを引き取った場合、互いになじめずトラブルに…ひどいものは虐待に…なることが、ままあるわけです。
特に、赤ちゃんは、養親との信頼関係の中で世界との関係を構築している大事な時期です。
「養親から赤ちゃんを取り上げて実親に返す」とは、この大事な時期に赤ちゃんの世界を壊すことに他なりません。
「こうのとりのゆりかご」のベッドに赤ちゃんをねかせた瞬間から、その赤ちゃんと実親とは、もう別の家族です。
「猶予期間として1日、2日設ける」くらいなら良いと思いますが、「養親から赤ちゃんを取り上げる」ことはあってはならないことです。
そうでなければ、養親も責任を持って子どもを養育することができないでしょう。

それに、「返してもらえるんだったら、とりあえず新生児の今は預けちゃおうか」という分かっていない人を、それこそ助長することになると思います。
厚労省のお役人さま、「新生児の遺棄を助長する可能性があることに懸念を示し」たのであれば、この(4)の要望は、それを助長することになるのを気づかれないのですか?


それから、
2007年02月23日20時36分の記事で以下のようなものがありました。
 安倍首相は23日、保護者が育てられない新生児を預かる「赤ちゃんポスト」について、「ポストという名前に大変、抵抗を感じる。……

安倍首相〜。だから、名前、違うって。「こうのとりのゆりかご」だってば。
きちんとした情報を知らないんじゃないですかね?首相は。困ったお人だ。
まあ、いろいろ大事なご用でお忙しいですから、きちんとしたことを知らないのはしょうがないのでしょうけど……それなら、「よく知らないことに『大変、抵抗を感じる』なんて言わないで欲しい」ですよね。
この首相発言を錦の御旗にして、慈恵病院が狙われるのではないかと……とても心配です。
首相発言に大変、抵抗を感じます。

以上、つぶやきでした。
あ、決して安倍首相を批判しているわけではありません。
この発言に「ちょっと…」と思っているだけです。
首相の発言には重みがありますから、慈恵病院が心配なだけなんです。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 21:28
comments(0), trackbacks(2)
厚生労働省「こうのとりのゆりかご」を容認
今朝のニュースに出ていました。
厚生労働省は「こうのとりのゆりかご」を「関係法規に違反しているとまでは言えない」として容認する見解を示したそうです。

よかった! これで本決まり!
と、思ったら、「市長は病院側とも調整し、設置許可について最終判断する。」とのこと。
え、厚生労働省の判断で最終決定じゃなかったの。まあ、いいですけど。

慈恵病院の皆様、大変だと思いますが、がんばってください。
お祈りしております。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 06:38
comments(0), trackbacks(4)
「こうのとりのゆりかご」熊本市が認可方針
新聞報道によると、熊本市の慈恵病院が、市に申請していた「こうのとりのゆりかご」について、市は設置を許可する方針を固めたそうです。
最終的には、厚生労働省と協議したうえでの判断となるそうですので、まだ認可されたわけではないですが、「いのちを守る」という方向に進んでいるのは感謝なことです。

以前にも書きましたが、ボクら夫婦は「こうのとりのゆりかご」の設置に賛成です。
反対する方々のご意見にも、もっともなものがあるように思われますが、タテマエのように感じられるものがありまして……。

話しは前後しますが、ご存じない方のために。
「こうのとりのゆりかご」とは、育児が困難な親が、匿名で新生児を託す部屋です。マスコミでは「赤ちゃんポスト」と報道されています。この部屋は、病院の壁に設置された扉から、室内に置かれたベッドに新生児を預けられ、それを感知してブザーが別室で待機している職員に知らせ、すぐに新生児を保護する、という仕組みです。
種々の事情で子どもを育てられない、かつ表に出られない方々に配慮しながら、生まれたいのちを守ろうとする、立派な取り組みだと思います。

よく聞く反対意見に、ちょっとつぶやきを言わせてください。

よく聞く反対意見・その1
「育てられないのなら、産まなければいいんだ」

つぶやき:
なるほど、ごもっともです。
聖書のことばに忠実に従うクリスチャンであれば、「神様の導き」による「結婚」をしてから「夫婦間のみ」で性関係を持つわけです。通常、この状態であれば、子どもは育てられると思われます。(それでも難しいケースがあることを存じています。)
育てられない状況と、いうのは概して「結婚関係でない場合」ですね。
つまり、結婚外の性交渉が間違っている、とおっしゃっているわけですよね。
えっ?違う?「避妊」しろ? …ちょっと問題が違うのでは? それって、聖書にある「オナンに対する神罰」のケースにかなり近いような……それに100%の避妊方は無いですし。
えっ?「中絶」しろ?(これを至極当然のこととして平然と主張される方が実際におられたので驚きましたが……)
胎児も人間です。親とは別個の人格を持ついのちです。殺しを推奨しないでください。


よく聞く反対意見・その2
「赤ちゃんがかわいそう」

つぶやき:
どうしてでしょう?
おそらく「子どもは産みの親に育てられるのが一番の幸せ」という神話に基くものだと思いますが、昨今のニュースを見る限り、その神話は既に崩壊していると思います。
子どもは愛を食べて大きくなります。
「子どもは愛を充分に注いでくれる親に育てられるのが一番の幸せ」であって、養親と産みの親の差はない、と思います。


よく聞く反対意見・その3
「育児放棄を助長する」

つぶやき:
なるほど。「産んだからには責任を持って育児しろ」ですか。
でもその「責任」ということばにボクは引っ掛かりを感じるのです。
「責任」って「たいへんなこと・嫌なこと、だけどやらなければいけないこと」というようなニュアンスですよね。
「育児放棄を助長する」という意見は詳しく言えば次のようなことですよね。
「育児は辛いことだから、そして人はラクをしたがる弱さがあるから、辛いことを放棄できるのであれば、みんな放棄したがるに違いない。」
これって次のように感じられるのです。
「私は育児という辛く嫌なことを放棄したいのに我慢してやってきた。育児放棄なんてラクなことはさせられない。私が味わった苦しみを免れる人がいるなんて許せない。」
……違いますか?
……すみません。言い過ぎたかもしれません。
でも、こういった感情が背後にあるように感じられるのです。
「育児」って「嫌な辛いこと」ですか?
確かに辛いことも多々あります。でも「育児」には「嬉しいこと・楽しいこと・教えられること」もたくさんあります。
今の社会では「育児の辛さ」のみクローズアップされ、「育児の喜び」はほとんど無視されているように感じられます。
「少子高齢化」の根はそこにあるのではないでしょうか。
「責任」だけで子育てをしてほしくないと思うのです。
それこそ、子どもがかわいそうです。
「育児」は「喜び」である、という隠された真実をボクたちが把握するなら、諸般の事情で子どもを育てられない人に対し「育児放棄なんてムシのいいことを」と憤ることはないのではないでしょうか。

以上、つぶやきでした。
ともかく、赤ちゃんとお母さんが無事に守られますように。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 22:50
comments(0), trackbacks(0)
サンマリエさんの恋愛相談Vol.572に物申す
調べものでYahooを見ていて、こんなリンクを発見したので、つい気になって見てしまいました。……それで文句をこんなところに書いていても仕方ないのですが。
(文句を言うくらいなら、見に行くな、と自ら突っ込みを入れております。スミマセン)

「恋人は欲しいけれど体の関係は嫌」というリンクでした。
お、良いこと言ってる、と思ってクリックしたところ、「サンマリエ」さんの広告記事「恋愛相談 Vol.572」でした。
…なんだ広告だったのね。恋の悩みに「経験豊かな恋愛のプロ」がズバリ答える…というものです。

さて、「恋人は欲しいけれど体の関係は嫌。そんな私は変ですか・・」という30歳/女性の方からの質問には何と答えるでしょう……。
「掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます」なので、これ以上載せると引っかかると思われるので論旨だけ書きますが、この女性は「女性は本当に男性と体の関係を持つことを望んでいるのか?私はそれすら疑う。」と言っています。
そして主題の質問に対し「それは無理があるよね、でもどうしよう?」と結んでいます。

この質問者の女性の方、あなたの感覚は正しい。
「それは無理がある」という男が(社会が)間違っているのです。
「恋人になったら体の関係は当たり前」という風潮は間違っています。
……こんなマイナーな個人ブログで書いてもあまり意味は無いかと思いますが……。
でも、この質問者の女性のように感じている方は実は多いのではないでしょうか。
そして、「それは無理だよね」で慣らされてしまって「当たり前」になってしまっている方が多いのでは……?

人間の創造主である神様は、人の取扱説明書である聖書で、「性」を「結婚関係の中に与えられた祝福」として教えています。
「性」は神様からの祝福であり、喜びですが、それは「夫婦」という特別な関係の中にのみ与えられたものです。「結婚」という神と人との前の誓約を抜きに「性」を用いるのは乱用です。

「体の相性があるのだから結婚前に試さなければならない」という考えもありますが、いろいろな人と試しまくるのは……あまり現実的ではない気がしますし、結婚した後、お互いにいい気はしないのではないでしょうか。(試していないので比較できないのですが聖書の原則から推測するに、結婚前と結婚後では……違いそうな気が……そういう話を時々聞きますし……。)
試して探すよりは、むしろ、全てをご存知の神様に導きを求めて祈り、ゆだね、自分磨きなど自分の分を果たすことが大事でしょう。
わずかな事しか分からない人間の知恵と、全知の神の知恵とではどちらが確かか明らかです。
ボクは妻しか知りませんので比較はできませんが、彼女の体だけでなく全てが神様の備えだと実感しています。驚くほど(互いのズレすらも)良く備えられています。

ということで、「自分磨き」には、人の取扱説明書である「聖書」がオススメです。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(競謄皀 3:16)
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 22:32
comments(0), trackbacks(1)
第19回「世界エイズの日」
ニュースに、いちゃもんをつけるのは良くない、とは思うのですが…ちょっと。

中国でエイズに感染する人が増えているそうです。そこで、「世界エイズの日」(12/1)にちなみ、中国の新疆(しんきょう)ウルムチ市の成功広場では、市内87か所のデパートがコンドームを無料配布して、エイズの予防法について説明するキャンペーンを行った、そうです。

予防法も含めてエイズについて説明するのはとても良いことだと思いますが…「コンドームの無料配布」とは……。
婚前交渉、婚外交渉を前提としていることですよね。
…ちなみに、婚前交渉とは、結婚前の両家の話し合いのことではありません。念のため。

性交渉の危険性を語るのであれば「結婚するまで性交渉はしない」「結婚してから、その相手とのみ性交渉をする」と、言うべきだと思うのです。
「現実的でない」とおっしゃる方もおられると思いますが、現実を見るからこそ「婚前交渉、婚外交渉はいけない」ということを発言する必要があると思うのです。
性の乱れはエイズのことだけではなく、家庭や人間関係、さらには人格形成にまで深く関わってくることです。単に体だけのことではない、性を清く保ちなさい、と聖書は教えています。

このようなことを書くと「それは、薬害エイズの人はかわいそうだが、性感染エイズの人はいけないことをしたための自業自得ということか?」と受け取る方がいるかもしれませんので、念のため、弁明しておきます。
以前にも書いていますが、この世界に完璧な人はいません。失敗しない人はいないのです。その失敗が性に関することの場合もあるでしょう。
聖書が語っているのは「罪は罪として指摘」しますが「罪を犯した人を許す(救う)ためにイエス様が来られた」ということなのです。イエス様の十字架によって許されない罪はありません。
ともかく、もう少し具体的に言いますと、
性感染エイズの人も、薬害エイズの人も、私も、あなたも、みんななんらかの罪を犯している(程度の差はあっても)罪人であり、罪人同士が互いの罪を責め合うのは間違っているということです。(互いに励ましあって、前向きに注意喚起し合うのは幸いですよね)

ともかく、「結婚するまでしない!結婚してから相手とのみする!」
…あまり、実声では言えないので、ブログでつぶやいて(?)みました。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 23:53
comments(8), trackbacks(0)
「こうのとりのゆりかご」の論戦に思うこと
「こうのとりのゆりかご」(マスコミ報道では「赤ちゃんポスト」)に関して、ネットで賛否が論じられています。今のところ、賛成6割、反対4割のようです。
(論戦に参加することが規約上無理なようなので、自分のブログに書くのですが…)

反対意見を大まかにまとめると、以下のようになるかと思います。
1.「赤ちゃんポスト」という名称が赤ちゃんを物扱いしているようで嫌。
2.赤ちゃんを産んだのに育てられないのは無責任。
3.無責任な親を助長することになる。
4.ポストに託される赤ちゃんがかわいそう。

もっともなようにも思えますが…。
1.はマスコミ報道の問題ですね。分かりやすさを考えてそのように報道したのでしょうが、良識ある方々の反発を生んでいる…ということですかね。実際の名称は「こうのとりのゆりかご」だそうです。「…ポスト」ではありません。

2.についてですが、確かに親の責任は「産む」ことと「育てる」ことですから、育てる責任を放棄するのは「無責任」に違いありません。でも、「育てられないから」と産む責任まで放棄する(中絶する)のは「もっと無責任」です。きついことばですが「赤ちゃん殺し」です。
聖書は「殺してはならない」(出エジプト20:13)と教えており「母の胎内にいる時から形造」(イザヤ44:2)と胎児も人間であることを教えているので、産む責任だけでも果たすことは大切でしょう。
…と、ことばで言うのは簡単ですが、10ケ月おなかの中で赤ちゃんを育てるのは一大事業です。望まない妊娠をされた方、あるいは望んでいたのに突如状況が変わってしまった方にとっては、産む責任を果たすことは本当に大変だと思います。サポートしてくれる方、応援してくれる方が全国にいるはずですので、探してみてください。

3.について、私は「弱い」人間ですので抵抗を感じます。
これって、強者の論理ですよね。
「情けは人の為ならず」…情けをかけてやると、その人が甘んじてしまうので、その人の為にならない…人に情けをかけてはいけない…というニーチェあたりから来ているかと思われる発想ですよね。
(「情けは人の為ならず」は元々は「情けを人にかけてやると、回りまわって自分に情けがかえってくる」という意味だったらしいですが、今はもっぱら上記の意味で使われていますよね。)
聖書では「互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(汽撻謄4: 8)」と、教えています。罪や失敗をうやむやにすることを教えているのではありません。イエス様は姦淫の現行犯で捕らえられた女性を糾弾する人々に「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)と言われ赦すことを教えられました。無論、その女性に「今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:11)と諭すこともしています。
マタイの福音書18:21〜35にはペテロの質問に答えてイエス様が「七度を七十倍するまで赦しなさい」と教えています。その根拠として「神様が私たちの罪を許してくださるから」だと教えています。
これは当時の道徳的な人たち・宗教指導者たちから反発を受けました。今回の論争の3.のようですね。昔も今も…洋の東西を問わず…でしょうか。
でも、私たちは許し合いましょう。助け合いましょう。罪は罪として認めますが、でも罪を犯した人は、愛すべき人として、受け入れあうことができれば幸いだと思うのです。
そこから、回復ははじまります。

4.は…こういうイメージが広まっている現実にとても悲しい思いです。
これは「小さないのちを守る会」をはじめ、全国の「里親会」の方々など、そのような子どもを引き取って育てている親たちを侮辱…とまではいかないかもしれませんが、少なくとも認めていない発想です。
そして、周囲の反対や世の風潮(安易に堕胎を容認する)に逆らって(ある場合は戦って)10ケ月間赤ちゃんを守って産み出す、という大仕事をした母である女性の努力も認めていない発想です。胎児への愛情が無ければ、そんな大変なことはできません。
愛されて産み出されてくるんです。
周囲の反対などと戦う分、通常の赤ちゃんよりももっと愛されているかもしれません。
そして、赤ちゃんの幸せな成育を願って「小さないのちを守る会」などの愛情をもって子どもを育ててくれる養親に託すのです。(実母さんにとってツライことだと思います。)
それらを養親たちは引き受けて、託された赤ちゃんを愛するのです。
どこが「かわいそう」ですか。
ある面、通常の子どもより、もっと愛されています。

「できちゃたから仕方なく育てる」「本当は嫌だけど義務だから育てる」のとはわけが違います。
本来は通常の赤ちゃんも「神様からの授かりもの」で「親の所有物ではなく」、「神様にお返しするもの」なのですが、養子はそれをさらに明確に親に認識させてくれます。

『1ダースのもらいっ子』(いのちのことば社刊)という本の中にそうした事例が出てきます。
「オススメ商品」で紹介している『ねぇねぇ、もういちどききたいな わたしがうまれたよるのこと』も愛されている養子を描いた絵本です。産んでくれたお父さんお母さんと育ててくれているお父さんお母さんをきちんと認識して、愛が交わされている絵本です。
(この絵本は里親会で4人お子さんを引き取っておられる方から紹介されて、一読して好きになりました。)

まあ、こうした議論は…あまり意味が無いかもしれませんね。
2年前に私の友人のお兄さんが牧師をしている教会に「託し子」(悪いことばで言えば「捨て子」)がありました。ニュースでそれを知って、友人に聞いたところ、以前にもあったということ。そして子どもは愛されて育っている、ということでした。
「地域から信頼されている教会だな、すごいな」と妻と語り合った次第です。
議論より、こうした実践が大切なのでしょうね。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 15:17
comments(0), trackbacks(0)
「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)に賛成
9日の新聞で、熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、事情があって親が育てられない新生児を受け入れる「赤ちゃんポスト」(通称・こうのとりのゆりかご)を、年内にも設置する計画を進めている、と報道されました。
私と妻は大賛成で「よく決断してくれたね。いろいろ言われるだろうけど。」と語り合っていましたが、案の定、ネット上ではいろいろ水掛け論に近い(失礼!)論争が繰り広げられています。
キリスト教ホームページの草分けである「インターネットミッションクラブ(旧称:TAMACHAN/たまちゃん[TAMA CHurch Adelphos Network])」のH牧師にホームページのことでご教授いただいた時に「中絶からみの問題に関する話題はすさまじい水掛け論になるので…気をつけるように」と言われていたのですが、やはり議論は白熱しますね。
悪用する親が出るとか、無責任な親が出るとか言われていますが、赤ちゃんのいのちが救われることに比べたら、些細なことです。それに、私は「赤ちゃんポスト」に赤ちゃんを置くお母さんを無責任とは思いません。だって、その女性は、おなかに宿ったいのちを、10ケ月ものあいだ守り育てて「産む責任」を果たしたのですよ。たいしたものです。
育てられない事情があるのであれば、「育てる責任」はそれができる人が引き受けます。私の関わっている「小さないのちを守る会」をはじめとして、全国にはたくさんのそうした赤ちゃんを受け入れる人たちがいます。
(ネットでの論戦に参加しようかと思ったのですが、「広告目的…の投稿はすべて利用規約において禁止されています」とあったので、広告のつもりはないけれど「小さないのちを守る会」の宣伝と受けとられたら、削除されてしまうな…と思って止めました。)
本当の無責任は…母親の胎内の赤ん坊を殺して、何も無かったことにすることでしょう。今、日本では、1日に1万人以上、実に7秒間に1人の割合で赤ちゃんが中絶されているそうです。
「赤ちゃんポスト」で一人でも多くの赤ちゃんと悩んでいる女性が救われて欲しいです。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 23:59
comments(2), trackbacks(0)
少子化問題
昨日の新聞で安倍首相が「任期中に憲法改正をしたい」という意向を表明したという記事を読みました。
ますます、きな臭くなってきているように感じます。
違う感じ方をする方も多いと思うし、首相の言う「成立過程にこだわりたい」ということも分からないではありません。
でも、その改正の方向性が「戦争のできる国」に向かうように思えて恐ろしさを覚えます。
同じ新聞で少子化問題対策の様々な助成金の効果について疑問視する記事も載っていました。
少子化問題はお金だけの問題ではなく、親となるべき人たちが「この国の将来に不安を感じている」からだと思うのです。
安倍首相の発言に代表されるような、きな臭さの増加している状況、そして格差社会の到来……これでは希望を持てと言われても……。
子どもを産んでも、どうせ戦争で死ぬ…というか戦争に巻き込まれる可能性の高い近未来に子どもを送り出すのは気の毒だから産まないでおこう…。
私の知り合いには「子どもを産むのは無責任だ」と言い切る人までいます。
その考え方も問題だとは思いますが…。

かつてベビーブームが起こった頃は社会に希望がありました。
今になって思えば、単なる幻想にすぎませんでしたが「これから社会は良くなる」という雰囲気がありました。
今は、その幻が剥がれ落ちてしまっています。

安倍首相には「美しい国」よりも「希望の持てる国」を作り出していただきたい。
「美しい」ということばは決して悪くは無いのですが、ナチスもとても「美しい」ものでした。でも、破滅しかありませんでした。
かっこ悪くても、無粋でも、「希望」のほうがはるかに、「今」必要な物だと思うのです。
そうでなければ少子化に歯止めはかからない…でしょう。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 23:29
comments(0), trackbacks(0)
養子を迎える時のハードル……周囲の反対
10月10日の記事で「多くの幸せな養子を迎えた家庭を拝見させていただいている」と書きましたが、程度の差こそあれ、ほとんどの方が遭遇する、超えなければならないハードルがあるようです。
そのハードルとは「周囲の反対」です。
アメリカやカナダで養子を迎えた方々からはそうした話しを聞かないので、日本の社会固有のことなのかもしれません。
周囲と言っても、周りの全ての人から寄ってたかって反対されるのではなく、一部の人たちから(数は千差万別)ですが、これから親になろうと気負っている当人たちには、まったく想定外の出来事で、けっこうヘコム…ようですね。
しかも、子どもを良く養育されていたり、普通の子育て中のお母さんをよく世話する人からの反対だったりするので(ほぼ確定)、かなり傷つかれているようです。
『ぶどうの木』の坂本さんたちも(養子ではなく里子だが)両親から猛反対され、認めてもらえませんでした。
そうしたいろいろと見聞きした事例を、勝手ながら、私なりに分析したので、以下に記します。養子を迎えようとしている方々への助けになれば幸いです。
また、知り合いが「養子を迎える」と聞いてムカツキを覚えた方々にも参考にしていただけると感謝です。


反対意見は要約すると以下のようなものだと思います。
「そんな大変なこと、あなたたちにできっこない。」
「考えが甘すぎる。」
「自分たちがどういうことに手を出したのか分かっていない。」

一見、「養子は大変なんだぞ」という脅しに思えますが、それらの方々の話しをよくよく聞いてみると、そうではなく「子育ては大変なんだぞ」ということでした。(私がリサーチした範囲では)
その発言が立派なお父さんお母さん方…あの子育ては模範としたいな、と思える方々…からのものだったので、言われた側は「客観的に見て、自分は足りないのかも…」と悩むようです。
(私がリサーチした範囲では)それらの方々(のほとんど)は子どもが産まれた人たちを良く世話する方々でした。
その時には、上記のような発言はありません。
なのに、養子になると……。何故??

よくよく話を聞いて、分析してみると彼女たち(1部男性もいました)の思考は次のようなことではないか、と考えられます。

彼女たちは実は子育てはきらいで、他にやりたいことがあった。
でも、子どもができちゃったので、やむなく育てた。
根がまじめなので、いやながらも「最良の子育て」を目指し苦闘した。
子どもは順調に育っているが、「子育ては90%以上苦しみ」だという実感を日に日に強くしている。

キーワードは「子育てはきらい」「やむなく育てた」「苦闘」「苦しみ」です。
以上は推察ですが…そう外れてはいないのではないでしょうか。
だから、彼女たちは子どもが産まれたお母さんたちにはやさしく接し「大変ねぇ。同情するわ。」と親切にフォローすると考えられます。
しかし、「養子を引き取る」とは、その方たちが忌み嫌っている子育てを「自分から背負い込む」ことです。
彼女たちにしてみれば、「自分の苦しみ(子育て)を軽く見られた」と感じる…のではないでしょうか。
養子家族の存在自体が彼女たちには「けんかを売っている」ことになる…のではないでしょうか。

こうした場合、議論や、説明で説き伏せようとしても無駄です。
既に相手には「けんかを売られた」と受け取られているわけですから。
むしろ、傷つきながらも、反論せず、彼女たちの話をじっくり聞き続け、「決してけんかを売っているのではない」「子育てを軽く見ているのではない」という態度を示し続ける場合に、数ヶ月で好転するようです。
議論してしまうと、そのまま物別れで数年…ということもあるようです。

子育ての喜びよりも苦しみをクローズアップする日本社会の構図がここにも表れているような気がします。
結局、このへんが、現在の異様な少子高齢化社会に繋がっているんですよね。

兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
…これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
(コリント人への第一の手紙 1章26〜29節)

ここで言う「召し」とは一義的には「救い」を指すと思われますが、もっと広く「神様がその人に与えた使命」とも読むことができるでしょう。
「養子を育てる」という神様からの使命に召された方々、あなたがたは知恵ある者・強い者をはずかしめるための存在です。衝突が起こるのは当然です。
ですから、こうしたことが起こっても驚き怪しむことなく、知恵と愛を持って対応しましょう。

そして、「知恵ある者・強い者」の皆様。皆様にけんかを売っているのは目の前の「弱い者」ではなく、その人を召した神様です。文句は神様に言ってください。
目の前の「弱い者」は皆様の知恵や力を必要とする者たちです。
author:sa-ru(会堂管理人 おさる), category:小さないのち・性, 01:45
comments(0), trackbacks(0)